インクルーシブデザイン写真集
2020/11/17
2020/11/10
博士(前期)課程 MD領域
g2120037 西山凜太郎
観光地のお土産といえば、地域の名産品、お菓子、キーホルダー、置き物、ポストカードなどが定番である。そんな定番のお土産品に並んで、必ずといって良いほど売られていて、ひときわ異彩を放っているのが木刀である。私自身の経験では、小中学校の遠足で鎌倉や日光などを訪れると、必ずクラスにひとりか学年にひとりは、いつの間にか木刀を買っていた。使い道もほぼなく、それなりに高価で、大きく重い上に、家に持って帰ったらほぼ確実に親から怒られるのはわかっているのに、なぜか少年の心を強く揺さぶる。また、ターゲットはおそらく小中学生の男子であるにもかかわらず、本物の木で作られており、クオリティも高く、決して子供騙しな代物ではない。私はこのような、なぜか観光地の土産物店で売られており、いらないのになぜか欲しくなってしまう「観光地の木刀」が持つ特異性に奇異なるものを感じた。
通常、観光地でお土産を買う目的は、大きく分けて次の2つが考えられる。
①旅行に同行しなかった家族、友人、知人、同僚などに渡すため。
②自分または自分たちの旅の思い出にするため。
木刀はほとんどの場合自分のために購入するので②のパターンに当てはまるだろう。しかし、木刀が旅の思い出になるかは疑問が残る。旅の思い出として定番のお土産は、キーホルダーや置き物、ポストカードなどであり、これらはその観光地を表現しており、後から見返してもどんな場所だったか思い出せる。一方、木刀は地名が文字で入っている程度であり、旅の思い出としては少し物足りない。それにもかかわらず、なぜ木刀が欲しくなってしまうのだろうか。
まず考えられるのは、非日常感を楽しむためである。修学旅行や遠足は、知らない土地に、親の目も届かず、班行動中は先生の目もない自由な時間に、自由に使えるまとまったお金がある、まさに非日常を味わえるイベントである。そんな非日常の高揚感、開放感をさらに増幅させる効果が木刀にはあるのではないだろうか。この効果から、木刀は修学旅行生(または遠足の学生)にとって非日常情報をより魅力的に媒介するメディアになっており、これこそが、観光地の木刀が持つ特異なメディア性であると言えるのではないだろうか。私はこの観光地の木刀のメディア性と同じものを、テーマパークで売っているキャラクターのかぶりものにも感じた。キャラクターのかぶりものも、そのテーマパーク以外では恥ずかしくてかぶれないが、テーマパーク内では、より楽しむためのメディアとなる。このようなメディアは、特定の場所でのみ効果を発揮するものである。また、あとから思い出を振り返るのではなく、その瞬間をより楽しむためのアイテムになっている。そのため、木刀やキャラクターのかぶりものが、日常の空間であるスーパーやコンビニで売られていても、そこまで売れないだろう。これらは非日常空間とセットではじめて効果を発揮するメディアである。
次に着目するべき点は、観光地で木刀を買うのはほとんどが男子生徒であるということである。これは、木刀が男性の狩猟本能、闘争本能をくすぐる「武器」だからではないだろうか。公園に長い木の枝が落ちていたらついつい拾って振り回してしまったり、新聞紙を丸めてチャンバラごっこをしたことが男の子なら必ず一度はあるだろう。そんな男の子にとって木の枝や新聞紙などとはくらべ物にならないほどリアルな木刀は、少年の目にはとても魅力的なものに映ったに違いない。木刀は、男が持つ本能を呼び起こさせるメディアなのかもしれない。
また、木刀がプラスチックではなく、本物の木で作られているという点も重要であると考える。お祭りの屋台や駄菓子屋などでプラスチック製の刀が売られているのをよく目にするが、この製品のターゲットは、幼児から小学校低学年程度だろう。しかし、木刀は小学校高学年から中学生になっても買っている姿を目にする。これは子供向けに作られた安全な模造刀ではなく、使い方によっては本当に相手を傷つける事ができる本物の武器にもなる危険さと、プラスチックに木目のフィルムを貼った偽物ではなく、木を削って作られた本物が持つ魅力を感じられるからこそ、精神的にもある程度成長した小学校高学年から中学生の心も動かす事ができるのではないだろうか。こういった面では、本物の危険や本物のモノの「重さ」を伝えるメディアとしての役割もあり、それが伝わるからこそ修学旅行性は買ってしまうのだろう。
最後に、時が経つと意図せずとも青春の思い出の品となるという点も特徴である。購入する瞬間には、思い出づくりのために買う品としては少し物足りないと述べたが、何年も経った後に見ると「あの時は若かったなぁ」「バカだったなぁ」と昔を懐かしむような、青春の記憶のメディアとなる。キーホルダーやポストカードは「こんなところへ行ったなぁ」という回顧はできるが、木刀のように過去の自分はこうだったということを思い出させはしない。木刀は、行った場所よりも過去の自分を思い出させてくれる奇異なメディアである。