インクルーシブデザイン写真集

2020/11/17

最初はインクルーシブデザインを誤解していた。障害者や高齢者に「してあげる」デザインだと思い、抵抗があった。弱者をネタにデザインした気になっていたり、弱者にデザインしてあげる自分に酔いしれているようで気持ちが悪かった。弱者に施すデザイン?

極端な例から考えていく、ボトムアップ型のデザインと聞いてしっくりきた。

よくあるデザインワークショップって意味あるの?ポストイットを貼って、なんかやった気になってるだけだし。成果物も、現実的でない。斬新なアイデアを出すことばかりで、何が目的なのか見失っていることがよくある。

「参加型デザイン」「自分ごと」は「大量消費のためのデザイン」「他人ごと」の対義語として示されているのだろうが、「形だけやっておけば良い」と誤解されがち。「自分ごと」「当事者意識」などの言葉には少し違和感がある。どんなに寄り添っても障害者の気持ちを全ては理解できないし、ちょっと体験しただけで理解できた気になっているのも失礼な話に思える。家族や親密な関係性の中で相手のために何かしたいと思う自然な気持ちの「私たちのため」「仲間のため」という見返りを期待しない関係性による視点の方がしっくりくる。「参加型デザイン」が目指すべきはこういった関係性を築くことなのではないだろうか。

課題発見と課題解決のデザイン。

アイマスク体験で

今まで気にもしていなかったものが、とっても大事なもの(頼りになるもの)に変わった。例えば、てすり、階段の先端にあるでっぱり、スプーンの柄、お皿のふち、、、逆に、普段はなんともないものが、大きな障壁に思えるものもあった。例えば、小さな段差や穴、歩道の石、、、それ以外にも、普段意識していなかった、空気感、

これらは、普段も視界には入っていたはずなのに見えていなかったもの、つまり、「目では見えていなかったもの」を、視界を閉ざしたことで見られるようになった。視覚障害のない私たちの方が見えていなかったのかもしれない。

体験を通して、日常の見える世界が変わったし、障害がかわいそうなこと、不便なことだけではないと気づいた。

視覚障害の人が見ている世界をうまく応用すれば、点字ブロックなんていらなくなるのかもしれない。

インクルーシブデザインはインクルーシブ体験をするだけでは不十分。体験を通して感じたことを、表現してはじめて「インクルーシブデザイン」になる。

バリアフリーの考え方の問題。日本のバリアフリーは、「ハードを用意してあげたんだから文句ないでしょ」って感じ。点字ブロックを設置して、点字をつけて、スロープをつけて、多目的トイレを設置して、音声ガイドを設置して、それで終わり。目の前で白杖をついている人を見ても知らんぷり。自分の役目は終わったと思っている。障害者と接する機会を減らすためのでデザインになってないか。